自分の責任だと解釈するように・・・

自分の人生を誰かのせいにしていると

いつまで経っても、人を恨む人生になり

その時点で人間的な成長も滞ってしまいます。

「誰々が・・・」と言う考えですね・・・。


ここは普通では考えられないような事でも

自分の責任だと解釈するようにした方が良いと言う事です

例えば、

誰かの置いた荷物にけつまずいて転んだとします

人の責任にするとその荷物を置いた人に怒りを感じ

「どうしてこんな所に・・・」となり

言える相手なら良いですが、言えない相手なら

自分の心は大荒れに荒れて、元に戻すのに大変な労力が必要になります

ほとんどの人がこれですね・・・

世の中がギスギスしているのはこの為です。


これは「誰々が・・・」と思うから腹が立つ訳で

会社にクレームの電話を入れたりもしているのが今の社会です。

これに対して、

こう言う時も自分の責任だと解釈すると言う事は

「ここで転んだ事は、何かの意味があるんだ・・・」と理解し

「守護霊さんが何かを教えてくれているんだ・・・何を?」と考え

「人と人の縁と言う物は、凄いな・・・」と理解して

「これで少しカルマが解消で来たな・・・」と思うようにすれば

心は軽く、誰に怒る事も無く、全部、自分の中で解決して行きます。

こう言う考え方で生きて行けば良いですね


上手く行かない事も

全部、自分の責任と解釈すると言う事です

その方が自由度が上がります。

自分の人生を誰かのせい(責任)だと思っていると

著しく心の自由度が下がりますね。

せせこましくなり、貧しい感情が出て来ます。


自由とは責任は相関関係が有ると言う事で

何でも他者のせいにしていると

自分の自由が無くなります。

誰かのせいにすると言う事は

その人に自分の自由を預けてしまっていると言う事で

その人が責任を取ってくれるのなら良いですが

多くの場合、その対象の人や組織は責任を取ってくれません。

社会が悪いから・・・とか

会社が悪いから・・・とか

恨み、妬み、不平、不満、愚痴、泣き言、悪口を言っているようでは

どんどん、自分の自由を自分で制約しているのと同じですね。

そう言う人はその問題が何かの拍子に解決しても

次の愚痴の対象を探して、文句を言い始めます。


恨み、妬み、不平、不満、愚痴、泣き言、悪口

これらの言葉を出し続けると

必ず運気が下がり、肉体的には免疫力が下がり

心の振動数も下がります

振動数が下がると精妙なものが見えなくなり

その人と同じような振動数の人が近づいて来たり

そう言う物に興味を示すようになり

心の振動数の低い者同士が集まり

そう言う世界に引き込まれていきます。

自分の責任において自分の人生を歩んでいると

認識して下さい。


貴方の責任の負える範囲が

貴方の自由範囲の大きさと言う事です。

世の中で良く無い事が起こっても

それも含めて自分に責任に一部が有ると言う風に考えるように

した方が良いですね。

そうする事で自分の自由が大きく広がり

大きな解放感の中を生きる事が出来ますよ!

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